徳間書店のSF専門誌(タイトルは知らない)に諸星大二郎インタビューが掲載されていた。しかしインタビュアーが自分の知っていることを確認するだけのインタビューで、買うほどのものでもなし。何しに行ったのだろうか、このインタビュアーは。写真に写った諸星大二郎は本当に久しぶりに見るが、昔と何一つ変わっていないのがかなりホラーだ。楳図かずお化が進行中。

そのスポーツクラブを退会する。シャワーだけが目的だったのだが、土日月と利用できないのではかなり意味がないということに今更のように気付いた。おやっさんを始めいろんな人に指摘されていたのに、自分が納得するまで動こうとしないとは、何なのだおれカネゴン。とりあえず銭湯の回数券を今度買いに行こう。

安彦良和という漫画家がいる。昔は特に関心がなかった(音楽が好みでなかったせいでガンダム食わず嫌いだったので)が、最近ちょっと貴重な人だと思うようになった。この人の話作りには独特の左翼臭さが常につきまっていて敬遠していたのだが、宮崎駿が環境問題に足を突っ込んでどんどん中途半端になるのと逆に、安彦良和はこの左翼臭さを決して取り除こうとしていないことに気付いた。ついでに年々絵も凄くなっている。何というのだろう、単に頑固なのとも違う。手を変え品を変え、その独特の左翼的世界観を徹底して追求していて、ちょっとやそっとでは真似できないような深みに達している。師匠の手塚治虫でもここまでやってない。同じく左翼的世界観を追求していた坂口尚(ひさし・こちらも虫プロ出身だったりする)が志半ばで亡くなった今、安彦良和は本当に偉い。心からそう思う。日本の宝だ。クラフトワーク先生に匹敵する求道者だ。(どうしたんだおれカネゴン)。

別冊モーニングで、「ネオ・デビルマン」という、通った後にぺんぺん草も生えないような落ち穂拾いの企画をやっていた。他の漫画家は一生懸命デビルマンをあれこれリメイクしていた中で、安彦良和だけがデビルマンのキャラクターで(同人誌なんかでうんざりするほど繰り返されたパターンで)ほのぼのと遊ぶ適当な漫画を描いていて、すごく印象深かった。何というか、企画に向かって「これでも喰らえ」と投げつけたように感じたのだ。「俺は忙しいんだ」と。太平の世に武士道を見たような心持ち。(暇じゃのうカネゴンは)。

果てしなくだらだらと書きつづけるおれカネゴン、壊れた餅つき機みたいになってきた。表現要求とは最早無関係に、引っ込みがつかないだけでこんなに書いてきたのか。書くときには「顔文字」と(笑)を使わないという以外に今のところ特に制限を課していない。

日経サイエンスデジタルラジオのことが書いてあったが、その手法(ヨーロッパ方式)が、まさにボコーダーそのもの。とはいってもデジタルなのでまったく同じではない。今になって復活するとは。米国では、分割周波数の一部が米軍とぶつかっているので違う方式を主張しているらしい。この駄々っ子。それはともかく、ラジオがものすごくいい音で、世界中で聞けるメリットはあるのか。