教育TVに仏教学者の中村元氏の生前の姿が映し出されたのを見かける。氏の話し方が極めて明晰で、少しもあいまいさがないことにカネゴン内心ひれ伏してしまう。ちょうどカネゴンは「しゃべりがだめですねえ」と前日はっきり言い渡されただけになおさらそう思う【イライラ増やすおれカネゴン】。

カネゴンはこれまで、5000年経っても風化しないギャグというものを追い続けてきたのだけど、中村元氏の話を聞くうちに、永遠に笑えるギャグを追求するのは空しい行為であることを痛感。

カネゴンはどうやら何かを説明するときに、「要するに何なの?」という核心部分を話すより先に、どうでもいい微細な部分からついつい話し始めてしまい、そのディテールにかまけているうちにそもそも何を話したかったのかがしょっちゅう消し飛んでしまっていたらしい【ものがあわれのおれカネゴン】。
どうしてこんなふうになったのかと今考えてみると、カネゴンのように人徳の低い者が、核心となる本音の部分をなまじ要領よくズビズバと話してしまったが最後、下手をすると野党第一党の幹部が総辞職しかねないという恐怖にカネゴンが常に囚われていたからかもしれない【ポストが赤いもおれカネゴン】。あらゆる価値判断をぎりぎりまで保留し、価値を定めることを極力避けてきたカネゴンとしては、本音と直結することの多い核心部分は決して会話の冒頭に発しないよう常に心がけていたつもりだったのだけど、それこそが、カネゴンの物凄く頭の悪そうな喋り方の根本的な原因なのだと今にして気付いた。カネゴンとしてはこのすっとこどっこいな喋り方を一刻も早く矯正したいのだけど、もしかして世界平和のためにもカネゴンは弁舌爽やかになってはならないのだとしたらどうしよう【そんな言い訳おれカネゴン】。うう。