それはそうと、琵琶で表現できる情感というと、悲しみだとか枯れた哀愁みたいなものに限られてしまうのだろうか。
腹がよじれるほどおかしくて仕方がない気持ちとか、思わずむかっときたときとか、眠くて眠くて仕方がない気持ちとか、腹が減ってどうしても眠れないときの気持ちとか、かわゆい赤ちゃんを愛でているときの気持ちとか、春になってむらむらと欲情したときとか、高速道路を軽快にすっ飛ばすときの爽快感とか、ジェット機が墜落するときの乗客一同の絶望感などを琵琶で表現できたりするものだろうか。

公約にもう一つ追加【生き生きするとはおれカネゴン】。

日本全土を巻き込む大掛かりな祭りを執り行う。

古くなってしがらみがいっぱい巻きついたさまざまなシステムのほこりをきれいさっぱり払うために、日本全国津々浦々でまんべんなく、30日間ぶっ通しで継続する前代未聞の大規模な祭りを執り行う【有病息災おれカネゴン】。
この間は完全無礼講とし、激しさのあまり死人が出るのは当然。日本の人口が1/10ほど減少して後世の統計にまでありありと跡を残すほど、どんな重症の引き篭もりでも思わず表で踊ってしまうほど、人生をキャリアアップに捧げてしまった女性たちが片っ端から孕むほど、徹底的にやる。警察も司法も病院もすべて機能を停止するので、どさくさに紛れて積もった恨みを払うもよし、打ち壊すもよし【十字架かかるおれカネゴン】。
祭りが終わってみれば、高齢化と少子化がびっくりするほど改善されていること請け合い。一種の人工的な文化大革命と受け取っていただいてもよい。遅かれ早かれそういう人災が勃発してしまうのなら、自然に発生するに任せるよりも、人工的かつ計画的に発生させる方が被害をうんと軽減できるはずという見通し。社会に太いワクチン注射をするとでも言おうか。
問題は、祭りの最中に大地震や伝染病などの災害が起きたらどうするかということだったりする【こちらも賑わうおれカネゴン】。
言うまでもなく、この祭りは100年に一度の周期でしか行わないものとし、希少性を保つこと。カネゴンがやらずとも、やがて煮詰まりまくった文明国がうなだれながらこのような祭りを検討せざるを得なくなるときがいつかくる【信じて待つのはおれカネゴン】。

まったく個人的なことで普遍性がまったくなくて恐縮なのだけど【一度もないとはおれカネゴン】、YouTubeを渉猟中偶然見つけたこの曲は、カネゴンが繭(中学生)の頃にラジオでやたらと耳にしたCMソング。まさかP-MODELの仕業とは思いもよらなかった。