ブッシュマンだかどこかの民族には数の概念が3までしかなく、それ以上多い数は「たくさん」で済ませてしまうという話を、いしいひさいちの漫画「ワイはアサシオや」で昔知った【それが役立つおれカネゴン】。
しかしながら数列を学習するときの人間はブッシュマンと同じレベルの理解から踏み込むことはなく、「1,2,3,」と数字を並べられてすぐさま「...」を示しても誰も不思議に思わない。「1,2,3,」の次が4でなくまったく違う数字に急展開するような規則を持つ数列がないと証明なしにほとんどの人が確信できてしまう理由は、脳のどこか上の方の片隅にでもあったりするのだろうか。
そして(単なる数列と似ているようで全然違う)極限を理解するときにも、最終的に拠り所となるのが実はこの確信だけだったりしたらどうしよう【原始の脳とおれカネゴン】。