カネゴンの1才4ヶ月になる子供は髪の毛がかなり薄く、仮におでこに絆創膏を張ったら写楽保介そのものと言ってもいいぐらい似ていることにある日気付く【子供はみんなおれカネゴン】。いつしか第三の眼を獲得し、人類をその足元にひれ伏させる日がくるまでカネゴン全面的にサポートします【雷落ちるおれカネゴン】。

小島先生の「数学でつまずくのはなぜか」を入手。できるだけちびちび読む予定。小島先生のどの本にも言えるのだけど、扱っている問題が昨日今日思いついたとか編集部で企画したのが見えみえというようなものでなく、問題意識に一つ残らず年季が入っているのが素晴らしい。カネゴン自分の実力も省みず、読んでいてああも言いたいこうも補足したいという気持ちを抑えられず夜中に悶えてしまう【火照った身体とおれカネゴン】。
一つだけ記憶から引用。

生徒が胸を躍らせるようなよい(数学の)文章題は本当に少ない。ほとんどの文章題は、味も素っ気もない、問題のための問題でしかない。
そういう問題を探して生物学や物理学を調べたがこちらでもいい問題になかなかめぐり合えず、当時「何でもあり」に思えた経済学にたどり着いて調べているうちに経済学にはまり、ついに経済学者になってしまった。

小島先生が同書で「数学のセンスは十分あるのに、記号や規則に従うのが苦手or嫌いなために拒否反応を示す生徒」について言及しているのを見て、カネゴン即座にいしいひさいちを連想する。
大昔のいしいひさいち四コマ漫画より記憶から:

  • このローカル鉄道会社の財政を立て直すには、生半可な経営では到底間に合いません。
  • そこで抜本的対策として、この赤字ローカル線をすべて廃止し、バスに切り替えます。
  • そしてさらに、現行の赤字バス路線もすべて廃止し、
  • 鉄道に切り替えます!

人はどう思うかわからないのだけど、カネゴンはこういうところに数学的センスを感じてしまう【壊れたアンテナおれカネゴン】。

小島先生の「数学でつまずくのはなぜか」を読んでて、数学教育において一番厄介なのはもしかすると「間違えてはいけない」という強迫観念だったりするのではないかと思いつく【豊富な間違いおれカネゴン】。
ところで、子供たちはまるで間違えることが罪ででもあるかのように間違いをいっせいにはやしたてて可能性の芽を片っ端から葬り去るものであり、要領よく間違えずに解答用紙を埋められる人が後に世渡り上手になるものだったりする【泥舟乗ったおれカネゴン】。
ところで、何か新しいものを創造したり形作ったりするには、少々の間違いやほつれなど気にせずずんずん先に進み、壁にぶち当たっても止まろうとしない馬鹿さ加減がブレンドされていることが往々にして必要だったりする。
ところで、世の中は世渡り上手だけでもうまくいかず、クリエイティブで雑な人たちだけでもうまくいかず、両方いて互いに利用しあって何とかバランスを保っているのだろうか。世渡り上手だけで固めた県とクリエイティブで雑な人たちだけを固めた県を作り、どっちの県が長持ちするかを観察することでこれを検証しようという勇者の登場が待たれる。
ところで、昔誰かが「アルファベットは26文字ではありません。文字と文字の間のスペースがないと成立しないのだから、スペースも含めて27文字です」と書いていた。
ところで、メールの90何%はスパムなどの無意味なメールらしいのだけど、届くメールが全部自分にとって重大な意味があるものだったら大変疲れてしまうような気がする。
ところで、記号の配置の可能性としては、たとえば1=2や100<1のように間違っている配置の可能性の方が、間違っていない可能性よりも断然多いことは容易に想像がつく。まるで、自然数と無理数では圧倒的に無理数の方が多いことにも似て、無意味になる可能性が圧倒的に高いからこそ、意味のある記号の配置が成立するということはないだろうか。有意味が富士山の頂上のほんの先っちょの部分で、無意味がその下のすべての土砂岩石であるかのように、圧倒的多数の無意味がないと有意味がその高さを保てなかったりするだろうか。
ところで、この世のあらゆる悪人がある日突然一人残らず清く正しい人たちばかりになったとしたら、または今はそうでなくても10年後ぐらいにそうなってしまうことが確実だとしたら、皆お互いに対してどんなことを思うだろう。
ところで、この世のあらゆる馬鹿がある日突然一人残らず究極に賢い人々になったら、または今はそうでなくても十年後ぐらいにそうなってしまうことが確実だとしたら、皆お互いに対してどんなことを思うだろう。
ところで、たとえば1=2のような間違いはそれ自体に意味がないのだけれど、「間違いの集合」と「間違っていないものの集合」の関係を考えている間ぐらいは、間違っているものにも意味を見出せてしまう。何とかして「間違い空間の方が豊穣」というふうに持っていきたいのだけど、どなたか勇者が手伝ってくれたりしないだろうか。
ところで、「あらゆる間違いの集合」は「あらゆる集合の集合」の次ぐらいに巨大な空間だったりするだろうか【強弁止む無しおれカネゴン】。