「一人で何でもやる」のがジェネラリストだとすれば「私はこれしかやらない」のがスペシャリストということになる。何となくだが、スペシャリストというのは平和な、安定した世の中においてのみ通用するものであるような気がする。「明日のこともわからない」とまでいかなくとも、未来に対する予測がつけにくい状態では、スペシャリストであることが(正確には専門を完全に固定してしまうことは)良い選択とは言えないことになる。江戸末期にあふれかえった大量の素浪人は、(殺しの)スペシャリストゆえの悲劇だったのだろう。

カネゴンよく知らないのだが、高度成長期には「これからはジェネラリストの時代だ」みたいなことが声高に言われていたとのこと。ひるがえって最近は「スペシャリストの時代」みたいなことを言われているみたいだが、先のことから考えると、どうもちぐはぐというか逆のような気がしないでもない。それとも求められる姿が案外実情を反映しているのだとすれば、スペシャリスト流行りの今は、実はこの上も無く太平なのかもしれない【カネゴン断定を避けとるのう】。カネゴンスペシャルであろうとなかろうと現場には向いていない。