学力の値段。引用させてください。

例えば、「微分方程式を解く」という「学力」(あるいは「知識」と言う方がより正確であろう)を考えてみよう。あ)まず、「解ける微分方程式」の「解法」を身につけることがある。い)次に「初等的には解けない微分方程式」の「解法」を身につけることがある。う)そして、コンピュータプログラムを使って一般的に「数値解析的に解く」ことがあるだろう。

仮に、このすべてを身に付けた人の「学力」を100%とする。昔の学生の「学力」は100%で、現在の学生の「学力」は30%であったとする。普通に考えれば、確かに「今の学生の「学力」は下がった」ということになる。しかし、それは、昔の学生の持つ「学力」には会計学で言う「減価償却」のような概念がなく、昔の学生の持つ「学力」の「値段」が下がっていないと仮定している場合である。はたして、昔の学生の身に付けた能力は現在においても昔と同じ「値段」が付けられるのだろうか?つまり、昔の人だったら「買う」値段で今の人が「買う」だろうか?ということである。

あまりにも基本的なところに見事な突っ込みを入れていると思う。このあたりで議論が始まらないだろうか。一応検索してみると前からこういうのはあるらしい。となると、経済学で定義されている仮想的な「経済学的人間」を実装するとネズミ男みたいな性格になるように、経済学的児童というのは「磯野カツオ」とか「あばれはっちゃく」みたいなちゃっかりした抜け目のない仮想的児童となるのだろうか。