自分を越える大きなものへの畏敬の念という言葉がこんなところから飛び出るとは思わなかった。

自分のすることを100%自分がその場その場で決めると、情報処理上極めて能率が落ち、場当たりになって統一感や見通しが失われがちで、エラーも発生しやすい【誰とは言わぬがおれカネゴン】。自分を律する、より大きなものに判断の大半をゆだねることは、一貫性を生み出し、情報処理能力を向上させる(無生物主語)。それが行き過ぎると「判断停止」になってしまうわけだけど、極端になればどんなことでも毒になるので、これに限った話ではないと思う【お主が言ってもおれカネゴン】。不思議なもので、大きなものに帰依しても、それだけで判断の自由が失われるかというと意外にもそうはならない。

いつの頃からかカネゴンは日記では「宗教」という言葉を何となく避けている。あと「トンデモ」という言葉も。これらの言葉には色がついてしまっていて、判断にも色がついてしまいそうになるので。あらゆる科学は途中経過だと思っていたのですがもしかするとそんなことはなかったのでしょうか。