■
「古畑任三郎」をこの年になって初めて見た。音楽と登場人物の名前の付け方に感心。聞くところによると三谷幸喜は姓名判断を応用して性格から人物名をつけているらしいけど、最終的な選択にセンスを感じる。
カネゴンは小説や漫画で人物の名前の付け方がつい気になってしまう。文章のうまさとかそういうのとまったく別に名前の付け方の巧拙というものがあって、相当名のある人でも人物名の付け方にやる気が感じられない人がいたり、藤子不二雄Aのように無理な体勢から強引にもじる(猫田狂児とか厳呉児とか)人とかがいたりする。気のせいかもしれないけど、小説や戯曲や漫画が勢いに乗っていると人物名もキマり、乗っていないと人物名も散漫になったりするような。何かのもじりや引用でないのにその人物の性格をぴたりと表す(またはぴたりと決め過ぎないで上手にそらした)名前を見かけるとつい感心してしまう【もろにもじったおれカネゴン】。
能條純一や雁屋哲は黒幕の名前の付け方がうまかったと思う。小池一夫は難読奇読な名前を選びがちで、意外に名が体を表していないような。詩や俳句は人物名を考えないで済むのでその分楽だったりして【甘い考えおれカネゴン】。