渋谷AXに宿願の参拝に行く【若干遅刻のおれカネゴン】。他の参拝客はカネゴン年代を中心に上下に広がっていて、皆いつでもそらで歌えそうなつわもの揃いと思われた。お誘いがなければカネゴンは来日にも気付かなかった可能性大だったので、危ないところをありがとうございました【薄き者とはおれカネゴン】。

カネゴンが長年心に描いていたクラフトワークのイメージにぴたりと符合する、夢のようなステージング。演奏中(またはVAIOを操作中)のメンバーは微動だにしないにもかかわらず、意外にもどことなくかわいらしさを感じさせ、客が何を求めているかを知り尽くしたホスピタリティーの極致を見せてくれた。メンバーが私生活を明かさないのもおもてなしの心遣いからくることを痛感。愛想がいいだけがステージングだけではないと。

今更ながら、どの曲もコンセプトが異常なまでにくっきりしているので、初めて見る人でもコンセプトを間違えることはありえないと思わせた。何しろ、たとえば電車の曲なら、映像も音もひたすら電車と線路ただ一点に絞られ、それ以外の要素がまるで入ってこない。普通ならこの禁欲に耐えられずにいろいろノイズを入れて照れ隠しをするところだろうけど、それをしない。メロディーは童謡よりもシンプルで、繰り返しの使用と風雪に耐えて生き残り、サウンドは今や枯淡の境地【夢は枯野をおれカネゴン】。映像は意外にも手作りが多く、演奏もいつボタンを押し間違えないかとカネゴンたちをドキドキさせてくれる。何より、とっくに陳腐化していてもおかしくないこのサウンド世界をここまで長らえさせたことは驚異。もしかすると100年後の小学校で音楽の時間にクラフトワークを演奏する日が来る予感【懲りずに何度もおれカネゴン】。