あらいなおひでさんの「オレは遅い」。

ところで、音楽や美術や文学や職人技や骨董や左翼思想などの初期教育において、「理解できるようになる前にとにかくどしどし本物に触れさせる」ことが最も肝心とよく言われたりする。もしかすると、デジタルデバイドよりもしかすると更に深刻なのは、(そんな言葉はないけど)「本物デバイド」とでもいうべきものなのかもしれない。カネゴンは繭から出て成長するに連れて、自分が何かにつけて「本物」を知らないこと、おのれの趣味嗜好が本質的に下司極まることを少しずつ少しずつ思い知り、カネゴンの心にあるアンテナが最初から折れたままで「本物」を見分ける能力が先天的に欠落していることを棚に上げ、先祖に向かって無用な逆恨みを抱いたことすらあった【あのときゃほんまにおれカネゴン】。教育論なんかでよく議論されることの多い「本物に出会える環境」は、実はそれだけで相当贅沢かつ実現困難なものであることを痛感。本物は、後から知っても単なる雑学にしかならない。などとナチュラルボーン貴族な人に言われてしまいそう。うう。