キリンジの曲のコードを採譜してみて、あまりの凄さに声を失う。楽器を演奏しない人にとってはたぶん関係ないことなのだけど、これだけ爽やかな口当たりでありながら縦(和音)も横(進行)も複雑極まる構成で、しかも従来の(特にジャズ系の)手垢のついたスタジオミュージシャンっぽい響きを見事に排除していて痛快。しかしそのおかげでコピーが物凄く大変【今まで手抜きのおれカネゴン】。単なる経過として使われがちなハーフディミニッシュという和音が、何か別の和音の代用という情けないものではなく、どうしてもその響きでないといけない必然性をキリンジの音楽に初めて感じた。もう和声的には新しいことなど起こりえないと思い込んでいたカネゴンが浅墓でした【若年寄おれカネゴン】。

こういうアレンジ優先の音楽ではメロディや歌詞が和音に負ける(=とってつけたようなメロディ/歌詞になる)ことが多いのだけど、キリンジはメロディも歌詞も和音と互角に存在感を主張してて、ますます凄い。