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今日の頭音: 「気ままにリフレクション」(key=Dm)
以下は基本的に思い出話。
カネゴンの繭にやっとヒビが入った(大学)の頃、音楽でたった一度だけ素晴らしい体験を味わった
。学内で行うバンド演奏のために何度も練習を重ねていた頃のカネゴンは、クロスオーバー系やジャズ系がまったくわからず伸び悩んでいた【今も大しておれカネゴン】。当時はドマイナーのニューウェーブ歌謡や暗黒面埋没系や若干のプログレぐらいしか知らず、「アンサンブルを作り上げる」ということがどういうことなのかすら見当がつかなかった。
このままではいかんともしがたいとバンド揃って頭を抱えながら迎えた当日、客のいない本番リハーサルでいつものように例の曲を始めた瞬間、何か異変が生じていることにバンド全員が一斉に気付いた。今までどうしてもタイミングの合わなかった出だしが完璧に合い、しかも音のバランスから音色までがすべて惚れ惚れするような調和を示している。テーマが終わってからも、それまでついていくだけで必死だったソロを、何の悩みもなく弾けていた。なぜか他のメンバーの心が手にとるようにわかる。次に何をしたらいいかも、次にどんな不測の事態が起こるかも完璧に予測できるという自信すらあった。窓から差し込むまぶしい秋の陽光が、会場の寒々しい石畳をほのかに暖める。
ついに演奏が終わった後、メンバー全員は一瞬黙った後ゆっくり顔を見合わせ、大きくため息をついた。カネゴンは今何が起こったのかが知りたくて、せめてそのとき起こったことを何とかして身体に記憶させようと必死で身をよじっていた。今から思えば、そのときのカネゴンの姿はMr.ビーンの物真似をしているようにしか見えなかったかもしれない。
実に残念だったのが、それがリハーサルに発生したことで、案の定本番はまたいつもどおりの出来に逆戻り【貴様のせいとはおれカネゴン】。そしてその後二度とこういうことは起きなかった。
あのときに何が起こったのか。たとえて言うなら、メンバー全員の身体を構成する原子のスピンが一斉に同じ方向を向いたような感覚。これと似た経験を無理やり挙げるなら、初心者が麻雀やパチンコで大勝ちしたときの感じとも似ているかもしれない。
こういう状態を「天使が降りる」と説明していたこともあった。ある意味オカルト体験みたいなもので、体験していない人にこれを説明するのは本当に難しい。適当な言葉が見つからないので、小っ恥ずかしいけどとりあえず「天使が降りる」現象と呼ぶことにする。
その後だんだんわかってきたのだけど、この現象は「なぜか初心者に起きやすい(バクチのビギナーズラックと極めて似ている)」「上手になり、偶然に左右される要素が減るほどこの現象が起きにくくなる」「演奏者の人数が多いほどこの現象が起きにくくなる」「再現性に極めて乏しい」「どうやら、初心者としての緊張が解ける時期と、練習慣れしてうまくなりはじめる時期との境目に発生しやすい」「しかし、天使が降りることを期待して(スケベ心を抱えて)演奏すると、決して降りてこない」ということらしい。
一般に聴ける音楽でこの「天使が降りる」状態を奇跡的にキャプチャしたものの代表は、やはりドアーズの「ハートに火をつけて」だろう。素人に毛が生えたような演奏テクニック(+チープこの上ない音色も含む)とインプロビゼーションの素晴らしさの間の信じられない落差といい、本人達が二度とこれと同じテンションの演奏ができなかったことといい、間違いない。後、The WhoのWon't get fooled againも割とそれに近い。他にもあるけどとりあえず。70年代のヒッピー/ドラッグ系のロックは【くくりは適当おれカネゴン】、何とかして天使に降りてきてもらおうと呑んだり吸ったりお香を焚いたり東洋趣味に走ったり天河神社に参拝して何とかパワーを手に入れようとしていたような気がする。
この「天使が降りる」とか「天使を呼ぶ」みたいな現象が紛れもなくあることはカネゴン認めるけれど、これらは言ってみれば黄身が二つ入った卵のような一種の縁起物なので、これだけをひたすら追求することは地面から足が少しずつ浮き上がってしまうことを意味し、精神の健康上決してよろしくないとカネゴンとりあえず断言しておかないと。こういう世界をひたすら貪り続けた結果、ある日突然高額の請求書を常世の国から突きつけられることになりかねない【返せど返せどおれカネゴン】。その方がお話としてきれいにオチが付くからというだけではなくて。こう書いておいておきながら何だけど、知らない方がよいことというのは確かにある。
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