失敗を引き寄せる男の続き。

自分は、みんなとは違う。――そんな意識が彼には常にあった。それは孤独感であり、また自尊心でもあった。彼の行動や発言はかなりの確立で周囲を驚かせ、それがたまたまプラスの方向に作用したとき、彼には「ユニーク」という褒め言葉が贈られた。

これがいわゆる中二病から発した意識ならば、年とともに改善されることは十分期待していいと思う。しかしそれが本態性のものだとしたら、いったいどのようにしてこの「ユニーク」という屈辱的な言葉を拭い去ればよいのだろう。それを達成するために、あと何と何を犠牲にすればいいのだろう。

カネゴンがつい連想してしまうのは、色川武大が再三書いていた【またまたそれかおれカネゴン】、幼少時から自分の頭がゼッペキであることを密かに苦にしていたこと。本人も書いていたように、劣等感は主観がすべてなので、他人がどんなに慰めようと癒されることはない。しかも、ゼッペキは他人から見れば全然大したことではなく、ただ苦笑を誘うだけのものだっただけに始末が悪い。他人がゼッペキのことを真剣に慰めてくれる姿は確かに想像できない。言葉は悪いけど、いっそ足が悪いとか目が悪いとかの方がよほどおさまりがよかったかもしれない。ついには何をするにも、まずゼッペキ頭の自分を心で眺め、それから他のことを眺めるという癖がついてしまい、自分はゼッペキであるがために、どう転んでも美しいものとか洗練されたものとは一生縁がないとまで思うようになっていたらしい。「絵に描いたようなナルシストでしたね」と自分ですっと言えるようになるまでに、想像を絶する主観的な苦労があったのだろうとカネゴン勝手に考えている。

色川武大のゼッペキが一生治らなかったように(だからこそ長髪で後頭部を常に隠していたのだと思う)、失敗を引き込むという病もたぶん一生治らない。治せないのだけど、何とかして世間と折り合いをつけないと飯も食えない。腹の底から笑うことすらできない。そしてゼッペキと同じように、他人はそんなものは苦労ではないと考える。「自尊心でもあった」とあるのも本当で、この病は自尊心にでもしなければとてもやっていけない。