昨晩寝付けなくて、何とかして眠気を誘おうともがいた末、以前何の気なしに買った、仏陀が直接語ったことを文字にした本 (asin:4003330218)を少し読み返すと、当初は普通のことを普通に書いてあるようにしか思えなかったにもかかわらず、突如「第22章 学問」の内容がカネゴンに不意打ちを食らわせる。大変に耳が痛いというか、数千年の時を越えてこっぴどく叱られたような心持ち【わしらも畏れるおれカネゴン】。原典も完全な状態でないのか、行が重複していたり、小さな矛盾はあったりするけど、それは旧約聖書も同じなので。
翻訳を行った中村元氏の、原典をきっちり現代日本語に仕上げるという気の遠くなるような作業に改めて恐れをなしてしまう【読むのは半端なおれカネゴン】。本人はどんな宗派にも属していなかったとのこと。日本の場合たぶん中国の影響でお経が長らく漢文のままだったので、訳のわからないお題目としてしか響かないのが普通なのだろうけど、東南アジアの大半(と英語圏も)では随分前からこういう経典は日常語として普及定着していると後書きに書いてあった。本人はおそらく探究心の赴くままにこうした作業に熱中するという一番幸せな人生を歩めたんだろうと思う。

それにしても、禁欲を強いるというイメージが未だに強い仏陀が、(巧妙に隠してはあるものの)実はナンシー関にひけをとらないほど頓知の利いた教えを残していたとは夢にも思わず。想像するしかないけど、原文はとてもリズミックなのだろうとも思わせる。もしこれを谷川俊太郎または桑田佳祐クラスの詩人が全面的に書き直したら恐るべきパワーを発揮するかもしれないと夢想してから墜落睡眠【真っ逆様におれカネゴン】。