意思主義とネット人格・キャラ選択時代。途中にどさくさに紛れて書いてあった部分に目が留まる。

こうした理屈によって、なんと私たちは法律に従うことで「自由」になれるということになる。これが「近代的あるいは理性的自由」。私たちは「自由になるために、法律に従うべき」ということになる。そして、法律は、私たちの不完全な理性によって生じた非理性的状態を回復するために機能し、国家権力を後ろ盾として「理性的な当事者であれば実現したであろう状態」を実現するわけだ。近代理性万歳!(ウソ)

場の空気云々は、うつけものの織田信長が殿様になったら殿様の顔つきになったとか、教師を長くやっていると不思議に教師の顔つきになるとか、以前教えていただいた怖い実験など枚挙に暇がないので、それほど珍しくはなさそう。

ただ、自分のしでかしたことを「自分が悪いんじゃない、場の空気が悪い。自分は場に合ったキャラを演じていただけだ」と言い抜けしようとする人は今後激増するのかもしれない。実際は仮面が取れなくなっただけというか、そのキャラに縛り付けられているだけでちっとも自由ではないのに【最もそうとはおれカネゴン】。これを叱るための説得力のある言葉を人類が今後必死で開発しなければならないとしたらどうしよう。