最上教授の「なぜ人間以外の動物が言語を持っていないか」。引用させてください。

思い出すのは、言語にとってもっとも基本的なのはシンボルを持つ事であると言う説である。つまり事物と恣意的な符号を結び付ける能力である。これが無いから動物は言語を持つことが出来ないという説を聞いたことがある。しかし、これが進化しにくい能力であるとは思えない。

「シンボル」のカネゴン定義を調べてみると「本当は『それそのもの』ではないにもかかわらず、まるでそれが『それが表すものそのもの』であるかのように人間社会で機能するもの」ということになっている【そんな資格がおれカネゴン】。白い石と黒い石を見て、それを「正義と悪」みたいに思い込めるのもシンボルを認識する能力があってこそ。シンボル自体は文化として、先祖からカネゴンたちに強制的に注入されたものであることは確かである一方、シンボルを受け入れる能力はシンボルとは独立して人間に備わっていると考えるしかなさそう。

動物にとってシンボルがあるとしたら何だろう。犬にとってご主人様の匂いはご主人様そのものではないのだけど、ご主人様の匂いがしたら即それがご主人様だと解釈してもたいていの場合生存上不利ではなさそう。しかしご主人様が亡くなった後、ご主人様の匂いのする遺品に犬が擦り寄って離れないという一種のエラーが発生する可能性はある。ここから考えて、動物の場合でも事物の関連付けという作業は明らかに行われていて、ただ、連想が匂いから離れて存在することがないために、ホップ数1のまま、それ以上連想が抽象化されることがないだけなのかもしれない。匂いが違っていたら、たとえ形がどんなに似ていようとも「こいつは偽物だ」と判断するのだろう。簡素で確実な代わりに、広がりようもない認識システム。

ところで、理由はわからないけど人間の場合ほとんどの動物より鼻が利かない。もしかすると、人間は何かのアクシデントで他の動物よりも鼻が利かなくなってしまったがために、失われた嗅覚を補おうとして視覚から得たものを連想の土台にするようになったとしたらどうしよう。やってみたら、視覚ベースの連想システムは匂いと比べて規制が遥かに緩く、連想が簡単にあっちゃっこっちゃに広がったりすりかわったりカスケードしたりするものだから、かけ離れた事物に対しても誤って類似性や同一性を見出してしまうようになったのだとしたらどうしよう。そこへもってきて、妄想に長けた一部の人間があることないことを吹き込んだら、すっかりそれが信じ込まれてしまい、妄想の巨大な体系が作られていつしかそれが言語とか文化と呼ばれるようになったとしたらどうしよう【寝ててもよいぞおれカネゴン】。

さらに、匂いSFの傑作「コフィン療法」のように、人類の嗅覚が何かのはずみで突然強力に甦ったり、サイバネティックスか何かで嗅覚を著しく増強するようなことがあったら、その代償としてシンボル操作能力が一気に低下して世界が平和になり、揃いも揃って結婚相手を匂いで決めるようになったりするのだろうか【それを待ってたおれカネゴン】。