ネット上の争いにおいて、争いの中核となる人物が常に死守しようとする「自分の主張は正しいから、謝る必要はない(または"無礼をやっても許される")」という命題(1)があるけれど、この命題の前の節と後ろの節の間には何のつながりもないように思えて仕方がないのはカネゴンが足りないせいでしょうか【違うと言えぬおれカネゴン】。「自分の主張は正しいのだから、ここで頭を下げることぐらい何でもない」という逆に見える命題(2)も実用上は成り立つのだから、命題(1)と(2)は実は論理学の命題のように見えてそうでないもので、単なるirrational beliefが命題のふりしているだけなのだとしたらどうしよう。主張が正しいこととそれを説得できることはカネゴンアイには独立した事象にしか見えない【近視近眼おれカネゴン】。