古本屋で「現代数学の世界 4 数学者の世界」(講談社)という70年代の数学エッセイ本を見つける。内容の割に、当時の価格680円は異常に安い【安いが一番おれカネゴン】。
その中でおなじみルイス・キャロルについての評伝があり、時代のせいかロリのことにはまったく触れられていない代わりに、「数学者としては三流」ときっぱり断じられていた。キャロルは、当時の最先端だった非ユークリッド幾何学を毛嫌いして旧来の幾何学にしがみつき、現代の高校生でも知っているような公式をあっさり間違え、微積分に不可欠な極限の概念の理解に至っては話にならないほどいい加減だったとのこと。そうした記述を読んでいるとつい、わけもなく罪悪感にかられてしまう【わけがあるとはおれカネゴン】。
残された著作も数学関連は少なく、大半が形式論理に関するものだったりする。その代わり、普通の人なら見落としてしまう論理の穴を面白おかしく見つけ出すことがずば抜けて上手く、文章の表現力が並外れて優れていたために、数学者としてではない分野で名前を残したということらしい。
キャロルことドジソン自身は糞真面目な初等数学教師だったということなのだけど、糞真面目であったのは、自分自身がいい加減な人間であることを密かに痛感し、それを補うために糞真面目たらんとしたのではないかとカネゴン夢想してしまう。いい加減だからこそ糞真面目に生きていかざるを得ないというか。