昨日の続き。

その本でひときわ目を惹いた部分:

イギリスの論理学者ブレイスウェイトは、キャロルが、伝統的な形式論理を単純化するために導入された有効な原則を、けっして受け入れようとしなかった、と指摘している。
すなわち、全称命題は、主語の存在を含んでいないというのが、近代論理学の原則なのであるが、そのことを彼は承認しないというのである。したがって、「20フィート以上跳ぶすべてのカエルは大声で鳴く」という命題は、キャロルにとってはかならず20フィート以上跳ぶカエルのいることを主張していることになる。

元の文章が何だかわかりにくいけど、「言葉として表してしまったことは必ず実現する」みたいな呪術的な何かをカネゴン勝手に感じ取ってしまう【祓って清めるおれカネゴン】。