何でもあるのにどうして幸せになれないか
これまでカネゴンがいろんな漫画で調べたところによると、「最初から身の回りにあるものは、それが何であろうとありがたく思えない」「自分の力で手に入れたものは、他人にとってそれがどんなに下らなくても貴重なものに思える」という強力な原則がカネゴンたちの前に立ちはだかっているらしい【回れ右するおれカネゴン】。
そのうち資源の最適配分と人類文明の長期続行を目的として、社会がこんなふうに改造されたりしたらどうしよう。

  • 何もかもピカピカに揃っている近代的かつせわしない都市の周りを、それよりもう少し時代遅れで少しのんびりした地域が円状に囲み、その外側をさらに時代遅れかつのんびりした地域が円状に...最終的には田園風景がという具合に都市を構成する。
  • 子供が生まれたら、家族もろとも有無を言わさず同心円の一番外に居留してもらう。
  • 子供の成長や学業が特定のステージに達するたびに、ドラクエのレベルアップのごとく同心円の一つ内側に引っ越してもらう。
  • 中心に行くほどよい暮らしになるかわり、それに見合った強烈なストレスを受けてもらうように社会システムを調整する。
  • 地域はいつでも自由に移動できるようにする。
  • 人々が中心を目指すエネルギーが社会の推進力となる。
  • 各人は最終的に、同心円の上から自分に合った地域を見繕い、そこに住まう。もちろん後から気が変わったら移動してもよい。

もしかすると今の社会は既にこうなっていたりするのだろうか。