岡田史観に驚愕してあれこれ検索しているうちに見つけた記述:

そして岡田は、「漢文は中国語(話されている言葉)とは無関係である、だから古語などではない。もし、古語であれば現代でも痕跡があるはずだが、それすらない」と言う。
例えば中国革命の指導者、孫文の右腕である載伝賢は徹底的な古典教育を受け、主要な古典を暗唱できたにも関わらず、意味が解らなかったと告白している。
また、魯迅は短編小説「五しょう会(本来は「しょう」は漢字)」の中で、暗誦させられた後、「私には一字も理解できなかった」と告白している。
そもそも、漢文には文法が存在しない。つまり、動詞とか名詞という区別もない。「言」という言葉でも、「言う」という動詞なのか、「発言」という名詞なのか、判別する方法がない。また、同じ動詞でも時制がないから、現代形なのか過去形なのか区別が出来ない。さらに、句読点(「、」や「。」のこと)がないから、どこまでが一文か解らない。つまり、全体の意味が解らなければ、一字一句も解らないし、発音も解らない、全くの「書き言葉としての言語」「話されている言葉(中国語)と無縁の言語体系」と結論を出している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%BC%98

ここで言う漢文は、古代/中世日本人が書いた漢文(と漢詩)ということなのだろうけど、当の中国人にすら何を言っているのかさっぱりわかってもらえず、下手をすればハナモゲラにしか聞こえなかった可能性があるということは、近年で言うとプラスチックスが歌っていた、見事なまでに日本人にしか通用しないデタラメ三昧の英語と同じようなものだったということでよいだろうか【それで学んだおれカネゴン】。
つまりプラスチックスこそが古来より伝わる漢籍の正当な精神的継承者であり、あのデタラメ英語を否定することは祖先の偉業を否定することであり、ひいては己を否定するということになるのだろうか【却下の刑のおれカネゴン】。