帰り道、柄にもなくふと突発的に欲情しかかったときに、たまたま雑誌「NEWTON」で二宮尊徳の記事を見て衝撃を受ける【急いで抜くとはおれカネゴン】。いつもの通り以下記憶から。

  • 尊徳が茄子を食べた時に奇妙な味がしたことに気付き、後にいう天保の飢饉が始まりかかっていることを察知する。そして村人たちにただちに飢饉対策としてヒエを植えるよう指示。馬鹿にする者たちもいたが尊徳の予測は見事に的中し、飢饉を免れた。

近年、このような飢饉が最後に日本で起きたのはいつなのだろう。農業技術と肥料の発達でカネゴンの知らないうちに克服されてしまったと思い込んでもよいのだろうか。もしまたこのような飢饉が発生したら、このような形で予測することは果たして可能なのだろうか【当てるつもりのおれカネゴン】。

  • 尊徳の財政再建政策は、現代の統計学者が見ても驚異的なまでに極めて合理的かつ科学的なものだった。

尊徳が薪をしょいながら学んだのは「論語」や「大学」「中庸」などのいわゆる古典だったらしいのだけど、それでも科学的思考を身に付けることができたというのが凄い。理系の勉強をする機会がなくても合理的かつ科学的であることが可能であることをカネゴン知る【あってもなくてもおれカネゴン】。

  • 尊徳は問題の核心、つまりクリティカルパスを見極める才能が殊の外秀でていて、大名や役所がどんなに頼み込んでも、問題の核心を解決するための最も重要な条件(飢饉解決のために藩の米倉の鍵を渡すこと、など)を大名または役所が呑むまでは、絶対に問題解決を開始しなかった。にもかかわらず、600以上の村を再建した。
  • 尊徳は問題を解決する時に、一番ひどい状態のところから手を付けた。一番ひどいところを解決することで他での問題解決の参考になり、何より実績を示すことで周辺の村人のモチベーションが高まるからだと説明している。
  • 尊徳は人心掌握にも優れていた。他の人が顧みないような地味で苦痛な仕事に従事し続けていた老人に最も高い報奨金を与え、人が見ているときだけ一生懸命仕事をする狡猾な者を罰した。尊徳の管理下にあった村では、借金を返さなかった者が一人もいなかった。
  • 明治天皇が尊徳のことを知って褒めちぎったために、全国の小学校に銅像が立ちまくったらしい。

そのせいかどうか、全共闘あたりの人々には、体制に擦り寄った前近代的な道徳観念の代表みたいに扱われていたらしいのだけど、大村益次郎ヤコブの子ヨセフにも匹敵する科学的思考の実践者をそんなしょうもない理由で見過ごすのは何とももったいない。世界中の経済学者が総力を結集して尊徳を研究する価値があると思う。