脳研究の課題
もしかするとこの前者に含まれてしまうのだろうけど、カネゴンとしては「脳がどうやって個別の情報を何が何でも一般化することができるのか」が不思議で仕方がない【手出しもせぬとはおれカネゴン】。卑近な例で言うと、英語でどういう場合にaを使い、どういう場合にtheを使い、どういう場合に冠詞をつけないかについて、すべての事例をくまなく学習しなくてもネイティブの子供はやすやすと使いこなしたりするというアレ。
何で読んだのか忘れたのだけど、10歳前後の児童は、独自の言語文法を作り出す能力が極めて高いのだそうだ。あるところにものすごくいい加減な文法のピジンイングリッシュを話す男がおり、その男から言葉を学んだ10歳前後の子供たちが、そのピジンイングリッシュを完全に再構成してしまい、独自の文法を作り上げてしまったということがあったという。そこには書かれていなかったのだけど、おそらくそれ以外の年齢層ではこういうことはほとんど起きないのだろう。
かように脳は誰にも頼まれずとも、あらゆるものを危険なまでに一般化してしまう。民族浄化は脳のこの高度な機能の典型的な応用例でもある。ちゃんと調べたわけではないのだけど、カネゴンたちが使っているPCのソフトウェアには今のところこの「一般化機能」は影も形もなく、どこまでいっても個別の命令を個別に実行しているに過ぎない。もしPCがこの一般化機能を何かの間違いで獲得するようなことがあったら、たぶん無限ループなど簡単に検出できてしまうだろう。
PCのソフトウェアがものすごく複雑になればこの一般化機能を獲得できるかというと、たぶん無理な予感。チューリング・マシンのあたりを調べれば、この辺についてはとっくに誰かが否定的な結論を出している予感【調べもせぬとはおれカネゴン】。
逆に、一般化機能を最も素朴に実装したものって何なのだろう。一般化機能の最小単位は昆虫の脳かはたまたプラナリアの神経か。一般化機能を手軽にご家庭で構築できるキットが売っていたらカネゴン買います。独自文法を構築できる年齢層が限られているように、経年変化に弱いような気もするのだけど。

以前NHKで放映された「あの人に会いたい:藤子F不二雄」をたまたま見ていて、ゲスト出演していた手塚治虫の、まるで鈴木健二のようなくっきりとした発音とトークのうまさの方に驚いた。漫画ばかり描いていたためにこの話芸が生かされるチャンスがほとんどなかったのが何だか残念【後からだったらおれカネゴン】。