何にもできないけど、生きていてもいいのだろうか。何の隠し芸も宴会芸も気の利いた出し物も小噺もできないけど、必殺技もなく魔球も投げられないけど、指導力も問題解決能力も人望もないけど、秘密の通路も隠し金庫の場所も知らないけど、いいのだろうか【食べることならおれカネゴン】。

三浦先生の「論理パラドクス―論証力を磨く99問」に「投票のパラドクス」(およびそれと同等の「アンスコムのパラドクス」)というものが紹介されていた。
大雑把に言うと、民主主義の定番である「過半数での可決」という手法には本質的な欠陥があるとのことらしい。(単純な投票ではなく)複数の項目を絡めた投票を行うと、投票結果がどういうわけか多数派の意見を反映しないことがしばしばあるのだそうだ【書いて写すはおれカネゴン】。

○は賛成、×は反対を表す。A〜Yは投票者。A〜Cが多数派、XとYが少数派。

/ 提案1 提案2 提案3
A ×
B × × ×
C ×
X ×
Y ×
決定内容 ×

XとYは全体としては少数派であるにもかかわらず、決定内容はXとYの望みどおりになっている。多数派のA〜Cの意見はほとんどまたはまったく反映されていない。

過半数ではなく「四分の三以上の投票」とすることでこの問題を回避できることまで既にわかっているとのこと。
カネゴンの知る限り学校でそういうことを学んだ覚えがないのだけど、このことはすべての人が知っておかないとかなりまずいような気がするのは実はカネゴンだけが知らなかったりするからなのでしょうか【夕焼け空とおれカネゴン】。
あと上の例では、A〜Cは多数派のくせに意見を揃えていないのだから負けても仕方がない、というふうに読まれてしまいそうな気がするのだけど、また何か、まずいことを書いてしまっただろうか。

コンテストの審査方式では、よく「審査員の得点群のうち、最高点と最低点を削除し、残りを合計する」という方法が用いられる。捨てられた点数がなんだかもったいないような気がしないでもない。この方式で落ち着くまでにいったいどんな骨肉の争いが繰り広げられたのか、そっちの方が気になってしまう【やはりお主はおれカネゴン】。

太田蛍一のサイトに掲載されていた上野耕路との対談で、重要な指摘を発見。

上野:でも音楽的に見ると、ピストルズブルーノート(スケール)を使ってないんですよ。ペンタトニックとかも出てこない。ファズギターのバンドだと、大抵ブルーノート、ペンタトニックとか出てきてハードロックみたいになっちゃうんだけど、サウンドはあんな感じなのにドレミファ音楽みたいで面白かったな。スコットランド民謡みたいな感じで。

「ドレミファ音楽」という言い方がかわいい。