ウルトラシリーズに出てくる宇宙人は、ほぼ必ず「**星人」としか呼ばれず、その個人名で呼びかけられることはまずない(最近はチャイルドバルタンシルビィというのがいたりするらしいけど)。
これを人間でやったら「おいアメリカ人」とか「おい韓国人」みたいなかなり不遜な響きになってしまう。宇宙人相手なら遠慮無く十羽一絡にしてしまっているというか、そうでないと相手を殲滅するのが気持ちの上で難しくなるからということでいいだろうか【固有の名でないおれカネゴン】。

玉音放送の口語訳
こうして読むとつくづく名文であることに気付く。
考えてみれば無理もないのだけど、このような極限状況でなされる作文において、たとえほんのひとカケラであっても名文でなくなるようなことは決して許されない。少しでも油断して一瞬緊張感が途切れたり、緊張に耐えられず和ませたいばかりに極めて微かな笑いを混入させようとして決定的なヒビを入れてしまったりしないかと、読みながらカネゴンついはらはらしてしまう【必ずしでかすおれカネゴン】。
何らかの理由で作文力を緊急で醸成しなければならない方には、自分が当時の陛下になったつもりで、明日までと期限を切って玉音放送の原稿を命懸けで一から創り上げてみるというライフハックがお勧めです。
一億の命を背負うことにより、文章力がメキメキと鍛えられないはずがない。

前にも書いたような気がする。直線運動や曲線運動には相対性が成り立っているのだけど、自転運動はどうなのだろう。
自分が回転すると、いきなり全宇宙が例外なく自転の相手になる。これは直線運動や曲線運動では考えられない。しかも、自分が回転することと、自分以外の全宇宙が自分を中心に回転することは明らかに同じでない。
そしてジャイロ効果は、その自転する物体がどういう系に所属しているかに関係なく、回転方向は一種の絶対方向に固定される。自転の運動方程式はさんざん検討されているのでそっち方面は気にならないのだけど、相対性のあたりがちょっぴり気になっている【それがいつものおれカネゴン】。

桂枝雀の芸のテンションの高さは、考えようによっては、一瞬でも素面に戻ることを恐れているというか、空間恐怖的なものがあるような気がしてきた。昔の竹中直人がごくたまに素面になっていたときにカネゴン結構戸惑ってしまったのを思い出す。