待望の夏休み。「X-MEN」と「インビジブル」たてつづけに見る。

X-MEN」は、じいさん2人がよぼよぼと「バビル2世とヨミ」のように戦う映画。それに、サリーちゃんのパパみたいな髪型をした風来坊モロボシダン(仮面ライダー風に改造済みで、ごていねいに記憶までなくしている)が、バビル2世担当のツルッパゲのお父さん(肝心な時に昏倒して役に立たず)から南部博士づらしてアカレンジャー(あるいは3つのしもべ)になることを強要されると言えば説明になるだろうか。レインボーマンみたいに「天地稲妻落し」かますし、クライマックスではウルトラ兄弟みたいにそろって十字架にかけられるし、付箋がびっしりつけられるぐらい既視感に満ち溢れている。テレパシーを防ぐ帽子をかぶって登場したヨミ担当は「スーパージャイアンツ」みたいないでたちが素敵。子供番組の王道を行くといえばそれまでだけど、カネゴンの心には「第一話、完。」と誰かがささやいている。やはり登場人物が二枚目ばかりでは弱い。「黄色いタイツでもはけというのか?」というセリフにうなずく。はきなさい。

インビジブル」は、やたらと痛覚を刺激される。前作「スターシップ・トルーパー」もやっぱり痛そうな映画だった。オランダ生まれのこの監督はきっと痛いのが好きなのだろう。カネゴンは痛いのは苦手です。女の子3人連れが「よかったー」と「きもちわるーい」を交互に連発していた。秘宝インタビューによると、この映画はプラトンギリシャ哲学の)が「もしも人間が透明になれたら、きっとろくなことをやらない」と書き残しているのをヒントにしたのだそうだ。本当だろうか。「失笑を買いそうな」要素を注意深く排除したということだが、最後に透明人間が感電したときにガイコツが見えるのはまずいのでは。この2本の映画を見てふと気が付いたが、カネゴンはこれまで一度も超能力が欲しいと思ったことがなかった。普通に生きられる能力のほうが欲しい。何だか、SFXはとっくに映画の決め手でも何でもなくなっているんだなあと思いました。

予告編ウォッチ。「悪いことしましょ」は、予告編が始まって10秒で「悪魔が出る」とわかってしまった。おやっさんに鍛えられたおかげだろうか。藤子F不二雄とかフレドリック・ブラウンみたいな「悪魔ネタ」の小話だろうと勝手に決めつける。「チャーリーズエンジェル」は、一人が三人に別れた瞬間「レイク」の文字になっているんではないかと思って目を凝らしたがどうも違うみたい。ドリュー・バリモアはどうみても空手強そうに見えない。