カネゴンは見た:

その昔、カネゴンがサナギ(大学生)からそろそろ羽化する寸前ぐらいに、新大久保のジャズのライブハウスに若干名とともに深夜出かけた。エキゾチック感漂う大久保駅周辺には(金髪の)多国籍軍が立ち並び、若干名の女性陣がおびえまくる。そのライブハウスでは「素人飛び込みジャズアドリブ大会」のようなものが月一回催されているのだ。後ろからサポートしてくれたのは、ベーシストの納(おさむ)浩一氏。そしてなぜかファンキー末吉氏まで来ていた。当時末吉氏は中国語にはまり、中国を舞台にしたマンガの原作を今は亡きミスターマガジン用に書いていたので、カネゴンさっそくそのことを尋ねると「あああれはもうすぐ終わるよ」とあっさり。

そして次々に飛び入り演奏が始まり、場がなごんでいく。カネゴンも冷や汗をかきながら演奏。そして夜も更けた頃、ライブハウスの主人が「それでは大阪からのゲストです」と一人のアマチュアピアニストを紹介した(名前を失念した)。年はおそらく40代前半で、やや長い髪の向こうから不敵な笑いを浮かべるたたずまいは、まるでインテリヤクザ。その彼がおもむろにピアノトリオを開始すると、決して「上手」ではないにもかかわらず、とてつもなくかっこよかったのだ。テクニックは最低限に抑え、メリハリだけでエッチ空間を形成した。「ああ、この人は間違いなく女殺しだなあ」と心底カネゴン感動し、J指数はこのとき200をカウントした。これぞ必殺技。J指数は距離の2乗に反比例するのだ。もう一度会いたい。

カネゴンがピアノに対する取り組み方を変えたのは、間違いなくこのときの強烈な体験が元になっていると思う。「テクニックがなんぼのもんじゃあ」とまではいかないが、「十分条件だが必要条件ではない」と。それでどんな進歩があったのかと言われると返す言葉がない。南無阿弥陀仏