この間のフジコ・ヘミングのプログラムの最後の曲はブラームスの「ハンガリー舞曲#5」だった。この曲は大昔に東芝の掃除機のCMで使われていて知ったが、タイトルを知ったのは今が初めてなり。

ブラームスハンブルグの出身ということはドイツ語圏ということになる。その彼がハンガリーをネタにしたということは、日本でいえば沖縄や朝鮮半島の音楽をやったようなものであろうか。Boom の「島歌」のようだ。よその国の民謡をやってみたくなるのは洋の東西を問わないということか。

まだ日本ではアラビア音階を本格的に導入している人がいないようだが (いたらすみません)、あちらは微分音階がベースなので気軽に演奏できないという事情もあるかもしれない。微分音階といっても音階を微分しているわけではなさそうだ。単に音階がやけに細かいということか。微分音階というと何だか特殊に思えるが、意外に多くの民族音楽の音階は平均律よりも細かい。

ついでにこんなものを見つけた。しかしこれをアイドル系の音楽にがんがん適用している様子はない(隠し味程度なら随分使われていると思う)。微分音の味を殺さないためであろうか。それを微分音と呼ぶか味わいと呼ぶか下手と呼ぶかは定義による。南無阿弥陀仏

何でも定義のせいにすると一種の責任逃れみたいだが【違うのかおれカネゴン】、要するに、たとえば微分音のつもりで聞くとすべて微分音に聞こえてしまうということなり。渋谷陽一が「売れる音楽は正しいのだ」と昔言っていたが、きっと結論ではなく定義なのだ。