ファンタジーに耽溺することのリスクカネゴン全面的に御意いたす。

ファンタジーは「指輪物語」と「ゲド戦記」という定番しか読んでいないが、当時の弱りきったカネゴンにはなぜか「本など読んでいる場合ではない、現実の中でもがくべし。自分にとって楽しいことでなくても、それが使命ならば逃げ出すことは許されない。それができない奴はこうなるぞ」という寓話に受け取れた。人それぞれと言えばそれまでだが「指輪物語」も「ゲド戦記」も、当時のカネゴンには途轍もなく恐ろしい話に見えた。こんな恐ろしい話をどうやって皆は楽しんでいるのか長らく見当もつかなかったほど。レインボーマンにしても同様である【またそれかおれカネゴン】。

どちらの本でも魔法(自分の影に追われるリスクが伴う)とアイテム(世に災厄をもたらす指輪)は物凄くネガティブな存在であることに今更のように気付く。だいたいにおいて、ポジティブなアイテム(「これさえあれば」という欲望に準じたもの)が主役のストーリーは薄っぺらになりがちだが、それを採用する方が大量生産が利くのだろうと勝手に推測している。芸能は繰り返すうちに歌舞伎や能や戦隊ものの如く形式を完成させて結晶化し、原初の理念は希薄になるのが常。一方現実においても、マンション管理士を始めとする各種資格も「これさえあれば」という願望に基づいて、あたかも銀の弾丸のように扱われる。これ皆クリスマスプレゼントとカーゴ運動の副作用と思われる。落としどころなどどこにもなき。みんなアエンに騙されている【仕事きついかおれカネゴン】。