よくは知らないが、経済学では経済的人間とかいう金儲けのことしか考えないねずみ男のような仮想の人格を想定して理論を構築しているらしい。もともとここまで極端な人間というのはそうはいなかったのではないかという気がするが、人間はもともとプログラマブルにできている(=暗示がすべて)ので、その理論に従って動き回っているうちに、特に米国では逆にそういう経済的人間としての人格を獲得してしまうということがあるのではないか。まるで量子力学のように、理論が現実に干渉して現実を変えてしまうというか。経済学では、こういうフィードバックについてどれぐらい考慮しているのだろう。知りたいところ。

今月の日経サイエンスで、ゲーム理論+心理学みたいな実験についての記事があり、大金を渡して(ついたての向こうにいる)見知らぬ相手に好きなだけお金を渡すようにさせると、ほとんどの人がだいたい半分を渡した。相手側はそれに不満があれば拒否できる(拒否すると自分にも相手にもお金は入らない)。経済的人間なら相手が1/3しかくれなくても「くれるものはもらっておこう」となるはず(特に額が大きい場合)が、実際にはほとんどの人が「不公平を感じて受け取りを拒否した」のだそうだ。自分の取り分より、拒否権を発動して相手を懲らしめる気持ちの方が強いという結果。人種職種を問わずやったらしいが、経済的人間の暗示がカツオだしのようによく染み込んだ米国人社長とかにやってみたらかなり結果が違ったかもしれない。