帰りに渋谷駅で飯を食いに降りると、ものすごい騒ぎに身の危険を感じる。大衆食堂の外から聞こえてくる音から想像するに、人々がある刺激を受けてコヒーレントな動きを開始しているらしい。あと一回勝ってしまったら、人々が誘導放出による光の増幅を始めてしまうかもしれない。量子力学的なサポーター。

それにしても、自分の動作を大勢の人間と同期させるのは何とも言えない快感がある。なぜなのだろう【ノルのは下手なおれカネゴン】。音楽でも祭でも、その本質は「同期」にあると以前書いたような気がするのだけど、それが気持ちいいのはきっと「自我が溶けて流れてしまう」からだろうと勝手に決めつけることにする。その渦中では、自分についてくよくよ悩むことはとうていできっこないし。案外マスゲーム鬱病の治療に有効かもしれないと適当なことを思った。失礼しました。