千と千尋の神隠し」をビデオで見る。もう既にいろんな人がいろんなことを書いているはずなので省略するけど。究極の酔っ払いがいた。「番台って何?」と千が聞き返していたのは、内風呂が多い今ならではかも。映像にひたすらうなる。

長らく中華妄想の影響下にあり「不思議の国のアリス」に刺激を受けて本格化した日本妄想史の中で、「ヨハネ黙示録」に端を発する「ねじ式」あたりの無反省に危険サイドの妄想に没入していく傾向と、ポーやトールキン諸星大二郎のように妄想の中でも理性を失わないような傾向に大別するとすると、この映画は何とか後者の流れにつながったかもしれないと勝手なことを思ったりした。カネゴンは「妄想何でもあり」という無責任な考え方は好きではないので【昔ははまったおれカネゴン】、「千と千尋」を妄想お手本またはベースクラスの一つに登録したい。それでも妄想は妄想、良し悪しを問わずあまり妄想ベースの作品自体が増えるのもどうかと思うので、妄想デザインパターンみたいな妄想再生産の効率をアップするようなものはあえて作らない方がいいかもしれない。そういう意味では、この映画は大人向け。あまりに完成された妄想を子供に見せる のは少々気が引ける。ファントム・オブ・パラダイスを多感な中学生に見せてはならないのと同じ。限りある妄想を大切に。東京電力