今日の頭音「Centerfold」のイントロがずっとブリキの太鼓」を連想させる。落ち込みがちな季節にはこたえる。

何だか「ある」と「思う」は違うみたいなことがしきりに書いてある。難しいことはよくはわからないけど、どうやら唯物論がどうしたこうしたらしい。カネゴンとしてはどっちかというとその「ある」と「思う」の境界面の方が気になる。どこに境目があるのか。それともないのか。進化論なんかでもサルとヒトの境目みたいなものはない(見つけようがない)らしいけど、それと似たようなものなのだろうか。馬鹿と馬鹿でない状態の間にも境目はないのかもしれない。カネゴンは寡聞にして、これまで馬鹿が馬鹿でないものになった話を見たことも聞いたこともない。「アルジャーノン」はそういう話には該当しない。あれは能力を得てからそれを失った話だし、馬鹿は能力とは無関係だから。-->