アリーの弁論術(もらいもの)を読んでると、不思議な既視感がある。ギリシャ語からの日本語訳なのに、何だか英語を読んでいるような気持ちにさせられる。カネゴンが想像している以上に、アリーの考え方はあちらでは血となり肉となっていることを痛感。アメリカは世界中で最も少ししかデカルトが読まれていない国であるが、しかしデカルトの教訓が世界中で最もよく遵法されている国であるらしいけど、同じことがアリーについても言えるかもしれない。