脳とか心とか。よくわからないけど、カネゴンとしては「なぜ人に心が存在するのか」よりも「なぜ人はあらゆるものに心を見いだすことができるのか」の方が気になってしまう。道端の道祖神でもイワシの頭でも欠けた古伊万里茶碗でも丸書いてちょんでもグッチのバッグでも半欠けの月でも何でも、容易に心を見いだすことができてしまう。脳の話を抜きにしても、後者の要素をすべて注意深く取り除いた後には前者には何も残らないような気が。もしかすると偉い人に断りなしにこの2つを区別してはいけなかったのでしょうか。また何か、まずいことを書いてしまったのだろうか【ますますフィットのおれカネゴン】。