やっと最近、松岡正剛を許してもいいような気持ちになってきた【おぬしが悪いおれカネゴン】。カネゴンが繭(中学)の頃、市内で一番大きな本屋に置いてあったという雑誌を片っ端から立ち読みしてしまい(買う金はなかったのがせめてもの救い)、あっという間にかぶれにかぶれたいやな中学生一丁上がりとなってしまった。普通なら近所や学校のお兄さんお姉さんが「そんな下らないもの読むもんじゃないよ」と王貞治のようにたしなめてくれるところなのだろうけど、当時のカネゴンの人間関係は水平方向のみで、垂直方向が極端に乏しかったためにその機会を逃してしまった【もしや今でもおれカネゴン】。小説を書く前の荒俣宏や「理科系の文学誌」などを知る機会にはなったものの、今にして思えば、右も左もわからない年頃にカリスマごっこに巻き込まれて大事なものをことごとく見落としていたような気がしていた【おぬしが悪いおれカネゴン】。現代思想みたいなものを知る前にアングラ世界に嫌気がさしてきたので【さみしかったかおれカネゴン】、以後現代思想っぽい匂いがする本は読まずに済んだのは幸か不幸か。