CATVでアレキサンドリア図書館の歴史が紹介されていた(ホスト:吉村作治)。あの日あの時蔵書のバックアップを取っていればと何人が悔やんだだろう。

その中のナレーションで「アレキサンドリア図書館のような、一見何の役にも立たないものを建設したのは実に凄いことだ」みたいなことを言っていたのが気になった。学問は遥か昔から、それ自体が自慢の種として外交的に立派に機能しているとカネゴン思ってしまう。江戸時代のお殿様が競って数学者を雇い入れ、「我が藩にはこのような優れた学者がおわします」と鍔競り合っていたみたいに。孔雀のオスのようなディスプレーが、それ自体は無駄なのだけど「無駄なことをする余裕がある」という意味でメスにアピールするみたいに。世俗に無関係な学問みたいなものを学者は空想しがちで、一部の学者が世俗に疎いというのは本当かもしれないけど、学問自体が世俗から切り離されて存在しているという考え方はどこか学者の単なる願望のような気がしてしまう【何様三昧おれカネゴン】。

異論はあるとは思うけど【貴様が言うならおれカネゴン】、学者がパトロンや殿様に囲い込まれていた17世紀-18世紀が一番発展が著しかったような気がしないでもない。発展の度合いだけ見れば今が一番大きいのだろうけど、学者の人数で割ってみればかなり見劣りしてしまいそうな気が。

クレオパトラの最大の幸運は図書館のそばに住んでいてネタをたくさん仕入れられたことと学習。