外出中に泊めてもらった先輩の家に自分の中に毒を持てという本があった。岡本太郎が、自分がいかにへそ曲がりかを書き連ねている本【人のことだとおれカネゴン】。一宿のお礼にノートPCをデフラグしている間にちょっと読んで見て、少し覚えていること:

私(岡本)があるお寺から講演依頼を受けて招かれたとき、そこの偉い和尚が「仏に逢えば仏を殺せ」と滔々と講義していた。次は私の番だが、その和尚の言葉が引っかかっていたので、そのままそれについて話してみた。

「皆さん、今和尚は"仏に逢えば仏を殺せ"などと言いましたが、皆さん仏に本当に逢ったことがありますか?逢ったことのある人は手を挙げてみてください。」「私は賭けてもよいですが、京の道端でどれだけ待っていても仏なんぞに逢えはしない。」「では誰に逢うのか、それは "己(おのれ)" です。」「道端で己に逢えば、己を殺せ。」ここまで話すと、聴衆の間にどよめきが起こり、続いて大拍手を受けた。

話の内容そのものはともかく【聞く耳持たぬはおれカネゴン】、聖書も含めた経典は常にデバッグとメジャーアップデートを繰り返して生命を保つ必要があることを痛感。優れた頓智を含む言葉であっても二度目にウケるとは限らない。経典はただ一つの静的ライブラリというのは思い込みで(おそらくベースクラスというものも実はありそうでない)、そこから無数のインスタンスが生み出され続け、しかも他の経典からも多重継承して初めて意味があるみたいなことをクヌース本から勝手に学んだ。各種経典のdebパッケージ希望。