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かなり久しぶりにアリーの弁論術の続きを読むと、内容がカネゴン脳からすっかり蒸発してしまったせいなのか、途中からいつの間にか文章の書き方になっていて、しかも今でも通用するほどまともなことが書いてあり、驚く。以下は記憶で書いてます。
どんな極論であっても、その文の前または後ろに、自分で自分を咎める文章をつけると、それで通ってしまう。これはどんな弁論者でも行っている防衛手段である。
一つの言葉に複数の意味がある、いわゆる多義語を使うべきではない。そういう言葉は、予言者の言葉のようにどうとでも受け取ることが可能なものであり、このような思わせぶりなことを書くことによって一時的に人気を得られるかもしれないが、長く残ることはない。散文では行ってはならないことである。