いつだったか、事故で手を切断された男が、痛みを紛らわすために頭に釘を打ち込んだというWebの記事を見たことがある。この他にも、パスカル歯痛を紛らわすために数学の問題を解いたり、ストラビンスキーが歯痛を我慢しながら「春の祭典」を作曲したなど、似たような話がよくある。

もしかすると、痛みという感覚はちょうどグローバル変数のように一度に一種類ずつしか脳の最上位階層で認識されないということはあるだろうか(複数箇所が痛いときは次々にフォーカスが移動する)。そうでないと上記の行動を説明できないような気がする。何の根拠もないけれど、人間の感覚で、これと同じように作用するものは他にもありそうな気がする。もしかすると人間の感覚は一つ残らずそうなのかもしれない。だからこそ、痛がる子供をくすぐって笑わせることで傷みを紛らわせることができるのではないかと【仮説の墓場はおれカネゴン】。