■
小池一夫・池上遼一の「愛・飢男(アイウエオボーイ)」というアメリカ大陸迷走劇画で、「なぜ俺を信用できるのだ」「信用は理屈ではありません」というやりとりがあり、ずっと心に引っかかっていた。
よく考えてみたら、相手を最終的に信頼するかどうかを決定することは、どう転んでも理屈だけでは決められない。信頼を決定するための材料はすべて過去のものであるにもかかわらず、信頼の対象は最終的には未来にしかないから。過去のデータだけで合理的に判断すると、そこにつけこまれてセキュリティを破られる可能性がある(長年まじめに働いて信用を得るのはスパイまたは草の基本)ため、決定を行うにあたってどこかで予知能力を、たとえわずかでも必要とすることになる。
たぶん皆そうやって証明書チェーンとかを作っているのではないかと【またも憶測おれカネゴン】。なお水木しげるの悪魔くんは、自分が呼び出した(召喚した)人物以外は一切信用しなかったにもかかわらず、秘密を漏らされた。