ずっと前の日記(2001.02.23)にも書いたけど、小池一夫の劇画に必ず共通するモチーフは「愛を試す」だと思っている。ストーリー上どんなに無理があっても、愛が本物か偽物かを嫌でも試さざるを得ないところに登場人物が必ず追い込まれていく。カネゴンとしてはキャラクターなどよりそっちの方がずっと気になってしまうのだけど、そういうのは鑑賞の仕方として間違っているのだろうか【そんな鑑賞おれカネゴン】。そう思えばラブストーリーと言えないこともないけど。

それと、実は人が言うほど小池一夫の劇画に登場するキャラクターがことごとく立っているとは思えない(好きだけど)。本人が「キャラクター屋」を自称しているのでついこちらも釣られがちだけど、移植の効くキャラクターとなるとゴルゴ13以外ぱっとは思いつかない。キャラに恵まれたという点では、色川武大(ドサ健)や武論尊(ラオウ)や能條純一(竜)や富野由悠季も遜色ない。カネゴンにとってのキャラ立ちの定義とは、「真似したくなる(特にセリフ)」ことと「作家が死んだ後でも他人が勝手にキャラを動かせる」ことと「他の話に移植してもひとりでに動き出す」こと。キャラは授かり物につき、神社にお参りしたくなるのもわかるような気が【参ってくれんかおれカネゴン】。