何で見たのか忘れたけど、数学で出てくる「空間」という用語について大雑把に「距離が定義できればそれはもう空間だ」という説明を読んだことがある。細かい部分はきっと違うのかもしれないけど。

カネゴンは「自分が幸せかどうか」ということを考えていなかったことに割と最近気付いた。カネゴンにとっては「苦しいか苦しくないか」という計量はあるけれど【痛いの怖いおれカネゴン】、「幸せかそうでないか」という計量は自分の中を探してもうまく見つけられなかった。

考えてみると、カネゴンに限らず、幸福の計量を定義することはかなり難しそう。というのも、昔からいろんな人が手を変え品を変えて言っているのは概ね「幸福になることを目的にすると不幸になる」という逆説めいたことだったりするので。刑事コロンボを見ていると、すべての欲求が満たされているのに不幸そのものの人間がしばしば登場するので、部分の欲求の達成の総和が幸福につながるものでもないらしい。とにかく、幸福は距離空間の中にないことだけは間違いなさそうなので、計量するのも科学するのも何だか無理っぽい。