殊能さんの日記より:

ある種の映画監督はデジタル技術に取り憑かれてしまうけれど、小説家にはこんなことは起きない。なぜなら、小説家は昔からデジタルアーティストだからである。「記号(=ビット)を組み合わせればどんなことでも表現できる」のは、小説家にとってはあたりまえのことだ。

小説家は「なんでも書ける」ことに取り憑かれたりはしない。むしろ「なんでも書けるはずなのにどうしてうまく書けないんだろう」と悩むことのほうが多いんじゃないでしょうか。

以前カネゴン日記に書いたことと一致していて、何だかうれしい【めったにないとはおれカネゴン】。