三浦先生の続巻「心理パラドクス」を書店で見つけて衝動買い。まだ読み終っていないのだけど、心理というよりはむしろ論理となかよしペアであるところの「倫理」に突入しているように思える。

その中で「進化論が正しかったら、そのせいで道徳が滅びるだろうか」というある意味ホットな議論が行なわれていた。結論としては「決してそんなことはない」とのこと。利己的な要素を含む進化それ自体はランダムなものだが、利他を尊ぶ道徳はそれとは別物で、道徳は目的を持った体系だからだとのこと。リチャード・ドーキンスすら「科学者として私はダーウィン主義を支持するが、人間の諸問題については逆に反ダーウィン主義で対応しなければならないと思うしそれを熱烈に支持する」と主張しているらしい。この本では「事実(進化)と価値(道徳)はそれぞれ別の判断が必要であり、混同してはならない」と再三注意している。一歩間違えば果てしない泥沼に陥りかねない議論に勇気を以って斬り込んだ、大変に天晴れな主張。

かのすげこまくんにおいても、「遺伝子が自分に命令するから(松沢先生を襲うのを)やめられない」と泣きながら主張する(そして激しくツッコまれる)シーンがあったけど、あれは、カネゴンたちにありがちな論理と価値観の混乱を見事にシミュレートしていたと今更ながらに思う【五里霧中とはおれカネゴン】。

そしてその議論の延長として、「自然なもの」だから「善」であるという自然主義の主張は、事実と価値観を混同した結果であり、論理の混乱であると一刀両断していた。これは奇しくも、色川武大と同じ結論だったりする。三浦先生がカイジを愛読しているらしいことは前回日記に書いたけど、カイジの作者である福本もある意味阿佐田哲也の子供たちの一人みたいなものなので、無理矢理ながら何となく因果のめぐりを感じてしまう。