三浦先生の「心理パラドクス」を読み終る。カネゴンの理解が及ばない箇所も多々あるけれど、やはり激しく面白い【活用できぬおれカネゴン】。

心理実験の結果から、もしかすると言語によって考え方が違ってくる可能性があるらしいことがわかってきたとあった。同一人物でも、たとえば英語で考えたときと中国語で考えたときで違う回答をする傾向があったりするとか。従来の心理テストは、圧倒的に欧米で行なわれていることが多いため、もしかすると欧米言語ローカルの特性に過ぎない心理がうっかり全人類共通の心理と誤って解釈されている可能性があるらしいとも。ご多分に洩れず、心理実験によっては男と女で回答の傾向が異なることがあるという結果を発表したところフェミニズム方面から怒涛の苦情が来たらしい。

本書の最後にあった「論理学>数学>物理学(2ch風)」という主張はやはり論理学者ならではなのかもしれない。何だか附に落ちなかったのは、「論理学>数学」が本当に成り立つためには、集合という恣意的な存在を頭ごなしに認める必要があるという点。論理学では「集合が実在すること」はなぜか前提におかれていないそうだ(論理学のベースに集合論を組み込めばあらゆる数学を生み出せることは確認されているらしいけど)。なので一般には「数学>論理学」という意見の方が主流らしい。集合のどのへんが恣意的なのだろう。

と書いてみて、「恣意的」の意味がカネゴンよくわかってなかったことに気付いたので調べると、「その場の思い付きの」、最近だと「都合よく作り出された/判断された」みたいな意味らしい。言葉の意味はわかったけど、先生の意図が今一つ読み切れない。うう。