hiraxさんのページで紹介されていた「芸術をいやらしい目で見てみる」。田中圭一の漫画に、芸術作品に靴下を履かせると途端にいやらしくなるという画期的なアイディアがあったことを思い出す【感激するとはおれカネゴン】。

その一方、荒木経惟が撮った写真で、単に女子高生が公園で水を飲んでるだけの姿がとてつもなくエッチくさかったことも思い出す。「いやらしさ」というのも不思議なパラメータで、「こうすれば必ずいやらしくなる」という普遍的な方法があるようでいてない。いやらしさは個別のパラメータを行列の形にしたときの固有値か何かのような姿で立ち現れるのかもしれない。行列の対角に近いところにある要素(靴下とか)は影響が大きかったり、対角から遠いところにある要素は影響が小さかったりするのだろうか【わかっておらぬおれカネゴン】。アラーキーを始めとする業者たちは、どんな要素が対角に近いところにあるかを失敗を繰り返しながら手探りで求めていたりするのだろうか。もしかすると文化が進歩する(=退廃が進む)ということは、この「いやらしい行列」のサイズがずんずん大きくなるということだったりするだろうか。大規模な戦争が起きたり巨大な隕石が落ちたりするとたちまち行列のサイズがコンパクトになり、多少難があっても皆問題なく欲情を刺激されるようになるとか【前途は多難のおれカネゴン】。