笑いは身体にいいとよく言うけれど、特に一発ギャグについては同じネタを繰り返し聞かされるとだんだん苦痛を通り越して怒りすら感じられるようになることから考えて、必ずしもそうとは言えないのかもしれないと思えてくる【実践するとはおれカネゴン】。こういうときに脳に何が起こっているのかはまだ脳科学者によって研究されていないのだろうか。

何となくだけど、脳内の論理配置において一種の「笑い空間」のようなものがあると仮定する。また、すべての笑いを扱うのは困難なので、一発ギャグに限定しておく。話はそれるけど、空間であるからには距離も定義されるのだと思う(空間なら距離が定義されるとは限らないとのご指摘。失礼しました)。脳に記憶されている要素を接続するまっとうな連想関係が脳内にあるとし(そういうものに物理的な実体があるわけではないだろうけど)、これをAとする。すべての要素を残らず網状に結んだ場合の組み合わせ(すべての連想の組み合わせ)の数をUとすると、Uは要素の個数をnとするとたぶんn(n-1)/2個みたいな感じになるのではないかと思う。その場合、U-AつまりAの補集合がおそらく「笑い空間」になるのではないかと【おっかなびっくりおれカネゴン】。そしてこの笑い空間で、これまで接続されていなかった経路が成立することで笑いが生じるものとする。笑いの大きさは距離に比例する。つまり、なるべく関係なさそうなもの(距離の大きいもの)同士を接続する方が、(成功した場合に限るけど)笑いの度合いが大きくなる。

ここでn(n-1)/2はたかだかnの2乗のオーダーなので、Uは思ったほど大きくない(大きいと考える人もいるだろうけど)。そしてAの補集合である笑い空間の中には面白くも何ともない無効な組み合わせも相当数あるはずなので、実際に有効な笑い空間はさらに狭い範囲なのだろうと想像できる。なお、こんな××はいやだというパターンに一度慣れてしまうと、××に何を入れても笑えなくなってしまうことからして、笑い空間においては要素が重要なのではなく連想関係というか構造の方が重要であることがわかる。関係ないけど、この掲示板にあったタイトルの中に「の」を入れると大ヒットするは個人的にツボにはまった。

このことから考えて、笑い空間(あくまで笑わせる側ではなくて笑う側のだけど)は限りある貴重な資源であり、世代が交代するに連れてリセットされるとは言え、サンタクロースが実在しないことを早くに悟る子供が急増していることからわかるように、次の世代に進むに連れてもっと効率よく急速に笑い空間を消費することは目に見えている。それを補うには要素nを増やす、つまり普段とはまったく違う分野についての知識を次々に得るのがおそらく効果的なのだけど、脳もそこまでタフではないだろうからどこかでやんわりと上限に突き当たることも十分考えられる。もしかすると、iPodをはじめとするあらゆるハイテク機器に囲まれた未来の人類は、笑いを取ろうとして必死に話しかけても乾いたためいきしか返ってこないようなすれっからしになってしまったりするのだろうか。もしかするとローマ帝国が滅びたのも笑い空間の過剰な消費が原因だったりしたのだろうか【歴史を改竄おれカネゴン】。

スターウォーズを70数回見た人や初代ガンダムのLDを繰り返し見る人はいるけれど、スネークマンショーを繰り返し聞く人は想像しにくい。その一方で古今亭志ん生のCDを繰り返し聞く人は大勢いるし、三谷幸喜の作品も繰り返しの鑑賞に耐えられそうに思える。こちらの方は、おそらく一発ギャグとは異なるもの(共感とか普遍性とか笑いの追体験とか)によって成立しているのだろうと何となく思うことにする。