ソフトウェアの技術者は危機管理のプロではあるが、編集のプロではなかった

全然関係ないのだけど、教育は、(たとえ全面的ではないにしても)どこかで個体発生が系統発生を繰り返すことをせざるを得ないような気がする。つまり、子供も大人も学ばなければいけないことが年々増えていくわけで、未来に進めば進むほど人類揃って青息吐息になることはもう目に見えている。脳を簡単に拡張できない以上、今よりさらにモラトリアムが進んで40才にならないと成人になれなくなったりして。喜国雅彦の4コマ漫画で「10万年後の歴史の教科書が死ぬほど分厚くなっている」というのがあったけど、人類がこのまま間引きもせずに前に進んでしまったらあらゆる面で本当にそうなってしまいそうで怖い。

電磁気学も計算理論も知らなくてもコンピュータが使えるようになってきたように、第一次産業の従事者がどんどん集約され減少するように、開発が進むに連れて下の層がどんどん抽象化されないがしろにされていく流れはもう止めようがないけれど、保険としてどこかで歴史を押さえておかないとある日突然世界の下の層が崩壊してしまうあかつきに頭を抱えてしまうことになりはしないだろうか【待っておるのかおれカネゴン】。歴史を押さえるということは「いつでも昔に戻れるように備える」ということでもあるわけで、普段はクーラーの効いた部屋で快適に暮らしていても、いざ出エジプト記みたいな非常事態となったらいつでもスクラップを集めてバイクを組み立てたり、昆虫を栄養源として活用したり、足軽の血を呼び覚まし性の野獣となって大暴れできるいうことなのだと思う。心配しなくてもタフな人類は自動的にそうなるだろうからカネゴンが気を遣う必要はないだろうけど【取って喰われるおれカネゴン】。